2012年07月01日
ゲームを制作する際の想像力と現実
(スマホなども含む)ビデオゲームを制作する際、これは想像できてて欲しい部分と、やってみなければわからない部分がある。
なぜなら、ビデオゲームはプログラムで構成されているからだ。
なぜなら、ビデオゲームはプログラムで構成されているからだ。
ビデオゲームはプログラムで構成されているため、特にルールの厳密性というのがあり、逆にそれが運用時に発生しうるエラーが想定しやすくなる。
逆に、できてみないとわからないのはユーザインターフェース部分だ。
理論と実践は、そうやって区分けされる。
ルール面ではほぼ想像上で結果が明確になっていなければならない。
これができないと、思いつき→実装してはつまらないゲームばかりできる。
なぜなら、実装前に練らないと、ルールの穴を突かれてあっさり死にゲー(必勝法の実現)になるからだ。
これでは実装した時間も報われない。実験作以外でおすすめできない。
だからこそ、技術者ほど既存のゲームを元にして作るべきなのだろう。トランプなどのゲームは、何も考えなくてもある程度のゲームになるからだ(面白さを伝えるにはやっぱり苦労はつきものだが)。
また、思いつきからプラットフォーム制限やユーザインターフェースを通る段階でつまらなさが削ぎ落とされた結果が出る。
つまり、思いつきの部分でしか有用性がない。それが、操作感重視のものであれば余計にそうなる。
ユーザインターフェースの不確定さが左右するとしたら、この部分だ。
だから、作る前に必要なのは、ルールの明確化とユーザインターフェースの不確定さを狭める仕様作成だ。
このために俺ら(企画含む)ゲームデザイナーが存在すると言っていい。
以前、7ワンダー(http://norththekeel.sapolog.com/e32367.html)のルールを読み込んだら、どんなゲームかやらなくてもすぐ理解できた話を書いたことがある。
このゲームはリソースが決まってるし、インターフェース面でアクション性がない(処理の早い遅いで結果が変わることがないルール)し、ルールも何ができて何ができないのかはっきりしていた。
そういうゲームは面白い面白くないを測るのはともかくとして、どんなゲームか理解できる必要がある。
なぜなら、ルールを把握しないでビデオゲームなんか作れっこないからだ。
プログラムは常に、状況を先回りして作成するものであり、それならルールが確定していないとプログラムで組み上げることなど無理にきまっている。
その部分を、やってみて、というのは個人的には時間の無駄でしかないと思う。
ユーザやプログラマがそれを言うのは特に問題ないというか至極当然ではある(ゲームプログラマもゲームデザインのプロでないことがほとんどである。ゲームの絵描きやサウンドデザイナがそれだけでゲーム作れるかというと作れないことと同じだ。そのため、別個でゲームデザインを学ばねばならない)が、ゲームデザイナーがやってみないとわからないものを考えていてはいけない。
ゲームデザイナーの脳内では、そのゲームで楽しく遊ぶユーザがいなければならないし、そのためにはルールを把握していなければならない。
もちろん、判定やバランス調整など、ユーザインターフェースに密接するものまで確実にわかれとは言わない。
しかし、このルールならこうする、こうなるというメタというか上流としてのルールは把握できてなければならない。
そうでなくては、何を面白いとしているのかという部分がブレる。
やってみて、失敗だけど面白い部分が発生したらどうするかという点にも直面する。
その場合、バグとして処理するのか、その面白さを伸ばすのか、最初にデザインしたルールでのゲームにどのような影響をおよぼすのかの判断が下せない。
身近な、魅力的な遊びに囚われるのかどうか。
元のゲームの範疇に収まる面白さなら良いが、別のゲームになり元のゲームの面白さに侵食しないかも、最初からルールを把握できていないと理解できない。
偶然生まれる面白さに頼るなら、プログラマにすべてを任せたほうがマシだ。
なぜなら、彼らはゲームを生成できるからである。
この設計で、どんな面白さが担保されるのか。
それがなければ(企画書などで)説明することもできないだろう。
逆に、できてみないとわからないのはユーザインターフェース部分だ。
理論と実践は、そうやって区分けされる。
ルール面ではほぼ想像上で結果が明確になっていなければならない。
これができないと、思いつき→実装してはつまらないゲームばかりできる。
なぜなら、実装前に練らないと、ルールの穴を突かれてあっさり死にゲー(必勝法の実現)になるからだ。
これでは実装した時間も報われない。実験作以外でおすすめできない。
だからこそ、技術者ほど既存のゲームを元にして作るべきなのだろう。トランプなどのゲームは、何も考えなくてもある程度のゲームになるからだ(面白さを伝えるにはやっぱり苦労はつきものだが)。
また、思いつきからプラットフォーム制限やユーザインターフェースを通る段階でつまらなさが削ぎ落とされた結果が出る。
つまり、思いつきの部分でしか有用性がない。それが、操作感重視のものであれば余計にそうなる。
ユーザインターフェースの不確定さが左右するとしたら、この部分だ。
だから、作る前に必要なのは、ルールの明確化とユーザインターフェースの不確定さを狭める仕様作成だ。
このために俺ら(企画含む)ゲームデザイナーが存在すると言っていい。
以前、7ワンダー(http://norththekeel.sapolog.com/e32367.html)のルールを読み込んだら、どんなゲームかやらなくてもすぐ理解できた話を書いたことがある。
このゲームはリソースが決まってるし、インターフェース面でアクション性がない(処理の早い遅いで結果が変わることがないルール)し、ルールも何ができて何ができないのかはっきりしていた。
そういうゲームは面白い面白くないを測るのはともかくとして、どんなゲームか理解できる必要がある。
なぜなら、ルールを把握しないでビデオゲームなんか作れっこないからだ。
プログラムは常に、状況を先回りして作成するものであり、それならルールが確定していないとプログラムで組み上げることなど無理にきまっている。
その部分を、やってみて、というのは個人的には時間の無駄でしかないと思う。
ユーザやプログラマがそれを言うのは特に問題ないというか至極当然ではある(ゲームプログラマもゲームデザインのプロでないことがほとんどである。ゲームの絵描きやサウンドデザイナがそれだけでゲーム作れるかというと作れないことと同じだ。そのため、別個でゲームデザインを学ばねばならない)が、ゲームデザイナーがやってみないとわからないものを考えていてはいけない。
ゲームデザイナーの脳内では、そのゲームで楽しく遊ぶユーザがいなければならないし、そのためにはルールを把握していなければならない。
もちろん、判定やバランス調整など、ユーザインターフェースに密接するものまで確実にわかれとは言わない。
しかし、このルールならこうする、こうなるというメタというか上流としてのルールは把握できてなければならない。
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それがなければ(企画書などで)説明することもできないだろう。
古本まつり行ってきた
ニンテンドークラシックミニファミコンとりあえず一通り遊んでみた
ファミコンミニをプレイしているんだが
眠かったのと、ニュー3DS買ってきた
また早起き
最近のアーケードの音ゲーの盛り上がり度合いリスト
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Posted by keel at 00:00│Comments(0)
│ゲーム/メモ