2016年05月19日
思い出の中のアーケードゲーム(初)
事実との検証は、全部書ききった後で補足していく。
まずは、思い出の中のアーケードゲームについて、先に記載していくことにする。
アーケードゲームと関係のないことも記載しているが、いちおう話には関係のある内容…だと思う。
まずは、思い出の中のアーケードゲームについて、先に記載していくことにする。
アーケードゲームと関係のないことも記載しているが、いちおう話には関係のある内容…だと思う。
最初の記憶は、清田のダイエーの中のゲームコーナーだった。
記憶の中では5歳の頃の話だ。しかし、もっと後かもしれない。
当初は2階にゲームコーナーがあったと思う。
そこで覚えているのは唯一。
車のゲームだ。
当時はよく見た、ハンドルを左右に回すと、画面の車が左右に動く。
ハイスコアが5位まで表示されている。
途中、トンネルに入ってライトが照らされる箇所があるのだが、そこに得も知れぬ興奮を覚えた。
これが唯一の、最初のアーケードゲームの記憶だ。
この頃は、このダイエーも、18時くらいには閉まっていたはずだった。
これ以降、しばらくアーケードゲームの記憶が無い。
せいぜい、家族で行った旅行の温泉にあったメダルゲームや、ホテルのスーパーリアル麻雀、ダブルドラゴンくらいだ。
そこにも、先述の車のゲームがあって、やりもしないのに興奮した。
小学校1~2年の頃は家にファミコンがあり、わざわざ外でゲームをしに遊ぶという発想がなかった。
学童保育所では外遊びをよく行っていたし、あの頃は実家もわりと普通だったので学友を呼んでファミコンで遊んでいた。
麻雀もやってみようか、って話(当時から麻雀は点数計算以外できた)もあったが、それは行わなかった。
3~5年の頃は、MSXをよくいじっていた気がする。
H2というやつだ。
ゲームしてるのが基本だったが、ペイントやサウンド機能、それ以上に、なんか音が鳴るコードを入れて音楽を鳴らして遊んでいた。
また、見よう見まねでBASICを打ち込んでいたこともあるが、ぶっちゃけ意味がわからんのでPRINTとGOTOだけ覚えて終わった。
俺が再びアーケードゲームに手を出したのは、確か、5年の時だ。
その時に仲良くなったUという友人が極端なアーケードゲーム好きで(R-typeうるさかった)、こいつのせいでファミコン版グラディウス2を購入した経緯もあるくらいだ(それ自体は割りと面白かった)。
行き先はもちろん、清田のダイエー。
場所は1階のレンタルショップのそばで、ここはヤマダ電機になっても同じ場所だった。
当時、久々にゲーセンで見たもので印象に残ったのは、以下のとおり。
・ゴールデンアックス
・雷電
・R-type(Uがいつもプレイしてたので)
・天地を喰らう
・ファンタジーゾーン(Uを通じて知り合ったXがよくプレイしてたので)
・左右に動く手を動かしてアメをつかむやつ
・1~25のボタンを素早く押すやつ
・3つボタンでカエルの口にボール入れるやつ
・でっかい、小さいメリーゴーランド
・メタルホーク
・アウトラン(デカイ赤い車のやつ)
・ハングオン
・新入社員とおるくん
・ストリートファイター(デカイボタンのやつ)
・山登り
・謎のルーレットメダルゲーム(温泉にあったのと同じやつ)
一部、時代が少しずれていると思うが、だいたいこんな感じだ。
中学以降の記憶については後ほど。
今から考えると、小学生であるなら、アーケードゲームに狂っても仕方のないラインナップだったと思う。
主にプレイしていたのは、ゴールデンアックスと天地を喰らうだった。
弟と一緒に、バカみたいにハマってた。
R-typeは、PCエンジン版で練習してからプレイし始めたので、中学生になるかそのくらいの頃からしかアーケードゲームではプレイしていない。
最高で7面くらいしか行けなかったが、Uは小学生当時からいつも2周めの8面ボスに負けてたのを覚えている(ちなみに2周クリアしたのはかなり先の話)。
メタルホークは、Xがやってるのを見て、面白そうだなあと眺めるだけだった。
ちらっとやってみたが、すぐ終わったので、当時はあまりプレイしていなかった。
ストリートファイターは、学友のI(すげえゲームたくさん持ってる)が昇竜拳連発してたのくらいしか覚えがない(Iには後でPCエンジン版をプレイさせてもらった)。
アウトランは当時はその価値が分からず、ほとんどやってなかった。
メリーゴーランドももちろん乗ることはなかった。
その他、この時期はUに連れてかれて、丸井今井の屋上だったかのゲームコーナーも行ったりしていた。
ここのゲームは大工の源さん、熱血高校ドッジボール部くらいしか記憶が無い。
ただ、Uを探しに行くと、いつもでたなツインビーの2周めのラスボスに負けてたのを覚えている(これは2周クリアした話聞いてない)。
あまり丸井今井に行かなかったのは、清田区(当時は豊平区)とかいう田舎では、何回も札幌中心部に行くことは難しかったからだ。
なにしろ36号線が狭くていつも渋滞しており、特に冬は除雪もしょぼく、バスに乗ったら一時間はかかる。
もちろん東豊線などというハイソな乗り物もなく。
それに、学童保育所のイベントとかもあったので、土日はあまり遠くに遊びに行くということは少なかった。
なにせ、ダイエーも18時30分くらいで閉まっていたし、もちろん丸井今井もそのくらいで閉まっていた。
この時期のアーケードゲームの記憶はもう一つある。
それは釧路でのことだ。
父方の祖父母が釧路に住んでおり、叔母やいとこもまた釧路にいた。
その時、いとこの一人(年下の男児)の面倒を見るついでに、どこかのデパートかなにかのゲームコーナーに行くことになった。
そこでの記憶もあまり多くなく(そもそも駅の近くのデパートというくらいしか覚えがなく、今もそれがどこだったか調べてもよく分からない)、記憶のあるゲームも以下のとおり。
・カダッシュ
・エイリアンストーム
・チキチキボーイズ
正直、チキチキボーイズは弟といとこが遊んでたのがそれ、という記憶しかなく、俺は一人でカダッシュだった。
カダッシュでは、なぜかプリーストを選択していた。
こういうゲームでは常にプリーストを選んでいたので、女キャラだから、という理由じゃなかったと思う。
http://norththekeel.sapolog.com/e31467.html
昔の記事でも、きちんと「僧侶だから」選択していたと記載している。
そもそもカダッシュで女キャラだからを意識したのは、PCエンジン版のパッケージ見てからだったと思うし。
なんで「僧侶だから」なのかは、単純に回復魔法があるからってだけだったと思う。
グラディウスでもオプションより先にバリアをつける痛恨のミスを演じることが多かったし。
このクセは、ガーディアンヒーローズをプレイするまでなくならなかった覚えがある。
で、エイリアンストームも記憶にはあるのだが、プレイした覚えがないので、もしかしたらここでの話じゃないかもしれない。
あ、あと、たしかこの頃に人生最初で最後のカツアゲを受けた記憶がある。
まあ、俺はデブガタイがでかいので、向こうも脅しではなく「金貸してくれよ~」的な下手に出ていたけど。
もちろん、てきとうな生き方をしてきた話術で難なく事なきを得た。
そのカツアゲ、自分には通用しないんだが、どうにも他はそうでもなかったらしい。
小学校卒業前に、一部の学友でゲーセン行こうかって予定を立てたのだが、その学友の親がカツアゲあるし許さぬ、という話になってお開きとなった。
当時は「え~」と思ったが、年を経るにつれ、「まあ仕方ないよなあ…」と、学友の親がキャプテンの松尾の母親的イメージになっていった。
なお、結局俺とUは予定通り丸井今井の屋上に行っていたもよう。
小学生編は何か思い出したら追加するが、これで終わり。
記憶の中では5歳の頃の話だ。しかし、もっと後かもしれない。
当初は2階にゲームコーナーがあったと思う。
そこで覚えているのは唯一。
車のゲームだ。
当時はよく見た、ハンドルを左右に回すと、画面の車が左右に動く。
ハイスコアが5位まで表示されている。
途中、トンネルに入ってライトが照らされる箇所があるのだが、そこに得も知れぬ興奮を覚えた。
これが唯一の、最初のアーケードゲームの記憶だ。
この頃は、このダイエーも、18時くらいには閉まっていたはずだった。
これ以降、しばらくアーケードゲームの記憶が無い。
せいぜい、家族で行った旅行の温泉にあったメダルゲームや、ホテルのスーパーリアル麻雀、ダブルドラゴンくらいだ。
そこにも、先述の車のゲームがあって、やりもしないのに興奮した。
小学校1~2年の頃は家にファミコンがあり、わざわざ外でゲームをしに遊ぶという発想がなかった。
学童保育所では外遊びをよく行っていたし、あの頃は実家もわりと普通だったので学友を呼んでファミコンで遊んでいた。
麻雀もやってみようか、って話(当時から麻雀は点数計算以外できた)もあったが、それは行わなかった。
3~5年の頃は、MSXをよくいじっていた気がする。
H2というやつだ。
ゲームしてるのが基本だったが、ペイントやサウンド機能、それ以上に、なんか音が鳴るコードを入れて音楽を鳴らして遊んでいた。
また、見よう見まねでBASICを打ち込んでいたこともあるが、ぶっちゃけ意味がわからんのでPRINTとGOTOだけ覚えて終わった。
俺が再びアーケードゲームに手を出したのは、確か、5年の時だ。
その時に仲良くなったUという友人が極端なアーケードゲーム好きで(R-typeうるさかった)、こいつのせいでファミコン版グラディウス2を購入した経緯もあるくらいだ(それ自体は割りと面白かった)。
行き先はもちろん、清田のダイエー。
場所は1階のレンタルショップのそばで、ここはヤマダ電機になっても同じ場所だった。
当時、久々にゲーセンで見たもので印象に残ったのは、以下のとおり。
・ゴールデンアックス
・雷電
・R-type(Uがいつもプレイしてたので)
・天地を喰らう
・ファンタジーゾーン(Uを通じて知り合ったXがよくプレイしてたので)
・左右に動く手を動かしてアメをつかむやつ
・1~25のボタンを素早く押すやつ
・3つボタンでカエルの口にボール入れるやつ
・でっかい、小さいメリーゴーランド
・メタルホーク
・アウトラン(デカイ赤い車のやつ)
・ハングオン
・新入社員とおるくん
・ストリートファイター(デカイボタンのやつ)
・山登り
・謎のルーレットメダルゲーム(温泉にあったのと同じやつ)
一部、時代が少しずれていると思うが、だいたいこんな感じだ。
中学以降の記憶については後ほど。
今から考えると、小学生であるなら、アーケードゲームに狂っても仕方のないラインナップだったと思う。
主にプレイしていたのは、ゴールデンアックスと天地を喰らうだった。
弟と一緒に、バカみたいにハマってた。
R-typeは、PCエンジン版で練習してからプレイし始めたので、中学生になるかそのくらいの頃からしかアーケードゲームではプレイしていない。
最高で7面くらいしか行けなかったが、Uは小学生当時からいつも2周めの8面ボスに負けてたのを覚えている(ちなみに2周クリアしたのはかなり先の話)。
メタルホークは、Xがやってるのを見て、面白そうだなあと眺めるだけだった。
ちらっとやってみたが、すぐ終わったので、当時はあまりプレイしていなかった。
ストリートファイターは、学友のI(すげえゲームたくさん持ってる)が昇竜拳連発してたのくらいしか覚えがない(Iには後でPCエンジン版をプレイさせてもらった)。
アウトランは当時はその価値が分からず、ほとんどやってなかった。
メリーゴーランドももちろん乗ることはなかった。
その他、この時期はUに連れてかれて、丸井今井の屋上だったかのゲームコーナーも行ったりしていた。
ここのゲームは大工の源さん、熱血高校ドッジボール部くらいしか記憶が無い。
ただ、Uを探しに行くと、いつもでたなツインビーの2周めのラスボスに負けてたのを覚えている(これは2周クリアした話聞いてない)。
あまり丸井今井に行かなかったのは、清田区(当時は豊平区)とかいう田舎では、何回も札幌中心部に行くことは難しかったからだ。
なにしろ36号線が狭くていつも渋滞しており、特に冬は除雪もしょぼく、バスに乗ったら一時間はかかる。
もちろん東豊線などというハイソな乗り物もなく。
それに、学童保育所のイベントとかもあったので、土日はあまり遠くに遊びに行くということは少なかった。
なにせ、ダイエーも18時30分くらいで閉まっていたし、もちろん丸井今井もそのくらいで閉まっていた。
この時期のアーケードゲームの記憶はもう一つある。
それは釧路でのことだ。
父方の祖父母が釧路に住んでおり、叔母やいとこもまた釧路にいた。
その時、いとこの一人(年下の男児)の面倒を見るついでに、どこかのデパートかなにかのゲームコーナーに行くことになった。
そこでの記憶もあまり多くなく(そもそも駅の近くのデパートというくらいしか覚えがなく、今もそれがどこだったか調べてもよく分からない)、記憶のあるゲームも以下のとおり。
・カダッシュ
・エイリアンストーム
・チキチキボーイズ
正直、チキチキボーイズは弟といとこが遊んでたのがそれ、という記憶しかなく、俺は一人でカダッシュだった。
カダッシュでは、なぜかプリーストを選択していた。
こういうゲームでは常にプリーストを選んでいたので、女キャラだから、という理由じゃなかったと思う。
http://norththekeel.sapolog.com/e31467.html
昔の記事でも、きちんと「僧侶だから」選択していたと記載している。
そもそもカダッシュで女キャラだからを意識したのは、PCエンジン版のパッケージ見てからだったと思うし。
なんで「僧侶だから」なのかは、単純に回復魔法があるからってだけだったと思う。
グラディウスでもオプションより先にバリアをつける痛恨のミスを演じることが多かったし。
このクセは、ガーディアンヒーローズをプレイするまでなくならなかった覚えがある。
で、エイリアンストームも記憶にはあるのだが、プレイした覚えがないので、もしかしたらここでの話じゃないかもしれない。
あ、あと、たしかこの頃に人生最初で最後のカツアゲを受けた記憶がある。
まあ、俺は
もちろん、てきとうな生き方をしてきた話術で難なく事なきを得た。
そのカツアゲ、自分には通用しないんだが、どうにも他はそうでもなかったらしい。
小学校卒業前に、一部の学友でゲーセン行こうかって予定を立てたのだが、その学友の親がカツアゲあるし許さぬ、という話になってお開きとなった。
当時は「え~」と思ったが、年を経るにつれ、「まあ仕方ないよなあ…」と、学友の親がキャプテンの松尾の母親的イメージになっていった。
なお、結局俺とUは予定通り丸井今井の屋上に行っていたもよう。
小学生編は何か思い出したら追加するが、これで終わり。
Posted by keel at 02:18│Comments(0)
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