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2017年11月14日

あないち(穴一)

古くから行われた遊戯であるが、遊びというよりはむしろ賭博と言ったほうが当たっている。「ゼニウチ」と同一のものであるともいい、また変化したものだとも言われている。「意銭(ゼニウチ)」は第六十一代朱雀天皇の御代、承平年中(一五九一後)に源順が著した『和名類聚抄』に「意銭後漢書注云意銭」とあり、第百十四代中御門天皇の正徳二年(二三七二)寺島良安のものした『和漢三才図会』には「和名抄載後漢書注、意銭今之攤銭也。蓋以手有所搓謂之攤」と前書きして「按意銭俗云穴撃之類乎。銭撃之和名叶之。但銭攤之訓不叶。今僮皃多弄之。二人或三人銭出合互更撃之、横引筋於地撒銭、一銭有掌以之撃敵所指銭。中則爲勝如、誤中他銭則爲負。初撒時誤出筋外則爲負」と説明を加えた上更に「種地掘穴可容銭、而覘穴擲銭、入穴者爲自得取之。穴外銭任敵請撃之、中則爲勝、其餘如上法、云々」とある。また大槻文彦博士の『言海』にも「下民ノ小皃ノ賭戯、地ニ線ヲシルシ、数銭ヲ抛チ別ニ一銭ヲ以テ、敵ノ指ス銭ニ打チツケ、中ルヲ勝トス、アナイチ、攤銭」と記している。以上の考証から言えば「アナイチ」と「ゼニウチ」とは同一のものかとも考えられるが、果たして同一のものとすれば、この遊戯はすでに平和ん時代に行われ、徳川時代に入ってから大いに流行したものらしい。
第百三代東山天皇の元禄十二年(二三五九)に『役者口三味線』を著して頓にその名を知られた江島其磧の『賢女心粧』に「をのこのすなる石取、穴一などの組合はざる悪遊び云々」とあり、『長崎歳時記』正月二日の條に「此日は市中家並に暁起し、店先に簾を垂れ家内賑わう。男女小皃の戯は破魔弓、雙六、猫具、毛毬、はご板、紙打なり。下賤の輩はスホ引き、ヨセ、ケシ、カンキリ、カラハ筋打などして楽しむものあれど、右は博奕に似たるとて親々堅くこれを禁ずるものなり」と図解を載せ「スホ引は寶引の事にして以下は皆銭を投げる遊戯なり。カンキリは普通の穴一にして、カハラ一名穴ポンと云えば穴のまわりに輪を書きたり。筋打は江戸にてキズと言うものなり。ヨセは小さき木を地に立て線を投げるに其木のもとによるをよしとす。ケシは地にうず巻を書き、投げる銭其の正中によるほど勝とす。うつ銭をバツソウと名づく云々。けれども第百十九代光格天皇の文化三年(二四六六)、幕府は同技を博奕に類するものとして、ろくど、辻寶引、道中双六その他一切の賭勝負と共に禁止、した。当時女皃が弄んだ手鞠の歌にも「三ツとや、皆さん子供衆は楽遊びゝ、穴一、こまどり、羽子をつく」、というのがあるくらいに流行を極めたものであった。遊戯法は『和漢三才図会』に詳しいからここに省くが、穴一の語源は穴の前に一線があるところから、こう呼んだものと思われる。

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