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2017年11月29日

いしなげ(石投げ)

「擲石」とも書くが、「ツンバイ(飄石)」・「イシウチ(石打)」・「ツブテウチ(礫打)」いずれも同じもので、他に「インヂウチ(印地打)」と呼ばれるものもあるが、これは多数集まって礫を打合う、所謂石合戦のことをさす。石投げには手で投げる原始的のものと、器具を使って投げる軍器的のものとがある。前者は穴居時代から生活の糧を得る爲、或は自己防衛の手段として行われて来たもの、後者は戦の用具として考案され、使用されて来たものである。第四十五代聖武天皇の天平元年(一三八九)七月七日、山上憶良が天河を仰いで詠んだという歌に「多夫手ニ毛投越都倍技天漢敞大而禮婆可母安麻多須辨奈吉(タブチニモナゲコシツベキアマノカハヘタテレバカモアマタスベキナキ)」という一種がある、『萬葉集』の八、秋の雜詠に載せられているが、橘千蔭の『略解』に、「たぶては飛礫にて今つぶてといへり。語のもとは手棄(タウテ)なるべし。うてはすつると云古言也、天河は目には近く見ゆれども隔てたればにや便もなくてせん方なきと也」、とある。これは前者をいったものであって、後者の考証としては『日本書紀』に「推古天皇廿六年(一二七七)秋七月、癸酉朔。高麗遣使、貢方物、因以言。隋焬帝與三十萬衆攻我。返之爲我所破。故貢獻俘虜貞公普通二人、及皷吹弩抛石之類十物。」また第六十九代後朱雀天皇の長曆、長久年間にものされたという藤原明衡の『本朝文粹』に「善相公意見封事之内、臣伏見、本朝器弩爲神云々、古語相傅云。此器、神功皇后、奇巧妙思、別所製作也。大唐雖有弩名、曾不如此器之勁利也。」というのがある。新古の問題は別として、器具を用いたものは古くから軍事的に行われていたと見ることができる。この他簡単なものには網状のものに石をのせて投げる「雁殺し」、二尺くらいの竹の先を二つに割って、その間に石を挟んで投げる「竹ハサミ」というものなどがある。「いんぢうち」、「がんころし」の項を参照。

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