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2017年12月01日

いしはじき(石彈)

小石を彈いて遊ぶ俗にいう「オハジキ」であって、その昔は小石のみで遊んだものだったが、近世になってキサゴ(細螺)―訛ってキシヤゴといっている―を用いて遊ぶようになった。現在ではオハジキといえばキサゴハジキをすぐ思わせる。平安朝時代には彈碁(ダンキ)といって中高になった特別の碁盤の上で、碁石を彈き合う遊びがあったが、これは上流社會の人々にのみ限られていた。第六十一台朱雀天皇の承平年中に著わされた源順の『和名類聚抄』に「世説云彈碁始自魏宮文帝於此技且好矣。」とあり、第百十四代中御門天皇の正徳二年(二三七二)に寺島良安が著した『和漢三才圖會』には「今云彈碁乃擲石之類而有少異。兒女常弄之。用碁子十有餘、撒之要不攅重、而以手指彈合、取撃当者、復次如之無遺爲勝。如誤撃隣石者爲負。」とある。これから見ても、この時代には彈碁というものがすでに廃れてしまって、極めて一般的に、しかも簡易化されてきたことを物語っている。また第六十三代冷泉天皇の安和年間から第六十六代一條天皇の長保年間までに書かれたという『宇都保物語』の祭の使の條に「中のおとどに庚申し給いて、男女、方わきて石はじきし給う」という一節がある。この例は彈碁のようでもあるが、男女に組を分けて行ったという點から考えて、普通の石彈きであったように想像される。
第九十一条後宇多天皇の御代、御寵を一身にあつめた卜部兼好、後の兼好法師の著『徒然草』に「碁盤のすみに石をたててはじくに、むかひなる石を守りて、彈はあたらず、我手もとをよく見て、ここなるひしりめをすぐにはじけば、たてる石かならずあたる。萬のこと外にむきて求むべからず」とあるが、第百十二代靈元天皇の貞享元年(二三四四)に井原西鶴が著した『二代男』には「藻屑の下のさされ貝の浦めづらかに、手づから玉拾う業して、ままことのむかしを居間にはじきというなどして遊びぬ」とあるから、この時代にはすでに、貝を用いていたことが立証される。『長崎歳時記』に「猫貝を小兒弄ぶことを云て、其法のせはじきと云は貝を握り、手の甲にうけ又手心にうけ、握り取、疊の上にちりたる餘り貝は一々はじき取て勝負を決す。十五握と云は各々貝十二十を出し合せ順々目を塞ぎ面をそむけて、数十五をつかみ取るを勝とす。とんのみと云は各自目印ある貝一つずつ出し合せそれを掌にてふり出し、餘り貝は附せ、一貝仰ぐものを勝とす。」また、『怡顏齋介品』という書物には「きさご肥前にて猫貝と云」と猫貝の、のせはじきがキサゴ遊びである事を示している。
第百二十代仁孝天皇の文政十三年(二四九〇)に喜多村信節の記した『嬉遊笑覧』に「きさごはじきにツマと云はツマヅクの略、ヤツというはやつあたりなり。きさごをかぞふるに、ちうしちうじたこのくはへが十てうと云う。ちうじは重ニなり。それを重ぬれば八ツとなる。章魚の足の数なり、是に又ニツて十になるをいう」とあるが、子供達はそれを訛ってか「ちうちうたこかいな」と数えている。現在行われている「オハジキ」は一握り或は一定数のキサゴを出し合って、これを撒き、重なり合った分はオネボといってそれだけを撒きなおす。こうして拇指と食指とで彈いて当ったものを自分の所得とする。もし当らないか、一彈きに二箇以上に当った場合には次の者に番を譲る。全部支障なく当った時にはオトメといって、何囘でも続ける事ができる。「だんき」

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