さぽろぐ

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札幌市豊平区の端っこ(現在・東京都新宿区)でアプリ企画とかやってるおっさん
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2018年02月04日

この時期、初めて東京にいるんだが

雪まつりは来週行く予定です。
今、有給ないんでね…平日に行けないんですよ…白い汁粉とかあるのかな。

というわけで、この期間に今まであんま見たことなかったので、たくさん恵方巻食ってた。  続きを読む

2018年01月29日

なんかキョンタゴン閉店してんだけど…

い、いつの間に…
先週あっただろ…


以下、この店に関する話やゲーセンそのものの話。  続きを読む

Posted by keel at 01:55Comments(0)

2018年01月26日

さて、新宿でも氷点下になったわけだが

確かに寒いんだが、数日続くわけじゃなけりゃまだいいや…まだマフラー一つでなんとかいける。
札幌は寒いというより痛い状態になったらしいしなあ。

いや、道路滑るのなんとかなんねえかなあ…自分はまあ対応策あるんだけど、他の歩行者とか自転車(乗んなよ)とかが怖くてな。

そういうわけで、部屋さえ暖かければ、別に氷点下前後なんて問題ないわけで。
本当の地獄は最高気温マイナス10度が続くような場合で…
ところでこっちでは水道とか大丈夫なのか心配ではある。

氷点下はこれで終わり…にしてくれ。  

Posted by keel at 00:05Comments(0)雑記

2018年01月22日

さて新宿でも雪が降ったわけだが

わりと地元(札幌市)とそう変わりないくらい降ってて、結構やばい。


そうなると、電車が停まる恐れも出てくるし、道路もひどくなる…

5年に一度の大イベントであった。

以下、どうでも良い感想。  続きを読む

Posted by keel at 23:56Comments(0)雑記

2018年01月14日

XBOXONEも買ってきた

ゴールドメンバーのコード入力でなんかクレジットカード登録要求される…
怒りの(略

と思ってPC側(Windows)で登録しようと思ったら、継続利用の項目OFFにすりゃいいだけかよ!
ONE側でOFFにできなくないこれ?

あと、コントローラが固定されるとか、コントローラにアカウント登録されるとか、360のコントローラ使えないとか酷いんだが、何と言っても酷いのが、ワイヤレスコントローラが電池式という、お前ワンダーメガか? って言いたくなる事態。
20年前にタイムスリップした気分だった。

以下、その後など。
  続きを読む

Posted by keel at 23:17Comments(0)ゲーム

2018年01月14日

PS4買ってきた

仕事に必要だからね!
仕事だからね! 仕方ないね!

…が、ネットワークにサインインできん。
正確には、パスワード変えようとしたら、変えれない。
怒りのフォームを送信した。

モニタは、いちおう以前買ったミニファミコン用のモニタ(10インチ)で出力してる。
今メインで使ってるノートPCより小さい画面だが、プロじゃないので解像度的にはそんな問題ない。

明日はXBOX1を買ってくる予定。


以下、その後。  続きを読む

Posted by keel at 11:53Comments(0)ゲーム

2018年01月10日

ゲーム天国くらいしか書くことがない

それもあんまり書くことがない。

ああ、ジェイナスでも1位になったけど、全然順位に変動無くて、ホント誰もやってねえなこれ…
あと、全キャラ3位以内になった。
ぶたはやっと700万いった。

とりあえずこれでおわり。  

Posted by keel at 23:36Comments(0)ゲーム

2018年01月08日

米沢行ってきた



なんでいきなりというと、今回は本当に特に理由がなく、単純にこの時期にどっかいこうということで、ぱぱっとオトクな新幹線のチケットが取れたからなだけだったりする(なので、状況次第では仙台とか青森、もしくは西方面もあったりする、というか本当は岡山行くつもりだったんだけど)。

ちなみについでなので福島も寄った。

以下、二日分なので長い。
  続きを読む

Posted by keel at 23:23Comments(0)雑記

2018年01月06日

すちーむのゲーム天国やってるんだが

タイムアタック、ぶたで1位になってるんだがやってる人少なくね。
小学生のももこ(偶然だぞ)も2位、プーペラ3位にしといたけど、いつ抜かれるのか。
というかプーペラのスコア出しやすさすげえな。

明日は米沢の予定。

とりあえずこれで終わり。  

Posted by keel at 01:33Comments(0)ゲーム

2018年01月04日

8~11入手した

困ったときのアキバヨドバシ有隣堂ですな。
本なくて、ここ来て買えなかったことがいまんとこない。
素晴らしい。

以下、他大した話もなし。  続きを読む

Posted by keel at 00:29Comments(0)雑記

2018年01月03日

去年について

言い訳として…
・なんか凄い疲れた
・ミリオンのやつ桃子先輩ばっかりやってた
・ロッテ選手苗字の漫画関係あさってた

というわけで千賀系動画もまだクリスマスのやつ見終ってないくらい、色々進んでない。
そんな中でコミケ行ってたとか…いや、行ったら気分回復するかと思ったんだよ!

以下、その辺の話も含めた今年について。  続きを読む

Posted by keel at 02:41Comments(0)雑記

2018年01月01日

コミケ93行ってきた





今回は3日続けて行ったぞ~
なんと、初日はまだ仕事納まってないからまともに行けなかったが。  続きを読む

Posted by keel at 23:58Comments(0)雑記/イベント

2017年12月31日

今年ゲームいっぱいやったので

個人的に賞を送ろうと思う。
※最近日記書いてない理由は後日

個人の賞なので、文句は言わんでくれ。


全体での優秀賞
1・パネルでポン
2・ソロモンの鍵(途中セーブあり限定)
3・FF3(途中セーブあり限定)

懐古抜きでの優秀賞
1・パネルでポン
2・ドラゴンズクラウン
3・レンタル武器屋deオマッセ

今年発売内での優秀賞
1・ゼルダの伝説ブレスオブザ・ワイルド
2・Fight of Gods
3・ヒューマンリソースマシーン(存在自体は昔からあったらしいので、次点でミリオンライブシアターデイズ)

時間泥棒賞
1・ドリームナイン(あいつクビになったのでやきうの話解禁)
2・マキシブーストON
3・ミリオンライブシアターデイズ  続きを読む

Posted by keel at 23:19Comments(0)ゲーム

2017年12月06日

いぬおふもの(犬追物)

(長いので分割して記載)
その濫觴は明確ではないが、遊びというよりはむしろ武藝のうちに数えられる騎射の一種である。犬を追うて射る儀式的のものであって、その昔は猪、鹿などを追いながら射ったから追物射と呼ばれていた。第百八代後水尾天皇の元和年間に多々良一吹著の『後太平記』三十四、犬追物御興行の條に
「前大樹慈照院殿、寛正六年(第百二代後花園天皇の御代―二一二五)八月興行御座しましてより以来、犬追物の御沙汰なかりしかば、武家弓馬の政怠りぬ。今戦世の代に当っては、且太平の政なるべしとて、今年新に是を行われける。抑此犬追物と申すは、昔時神功皇后三韓征伐の御時、彼の三国戦に討負け、終に日本に降伏す、去れ共連々反複の謀怠らざれば、吾朝にも亦武備を設けて、弓馬の技馭断ゆる間もなし。凡そ彼の三国は日本より戌の方に当りぬれば、彼の国の敵をば皆犬と呼びなせり。是れ由緒なきに非らず。亦皇后新羅に討入り給いて、弓筈を以て新羅国の大王は日本の犬なりと書き付け給えば、其字破れ未だ盡きず。爰を以て武家弓馬の政を犬追物といえり。其後久安元年(一八〇五)に当って、近衛院(第七十六代)の御悩急也。時に陰陽博士安部泰成占卜して、是は玉藻の所爲なり、(中略)此の玉藻の前の御事は容色百媚の粧ひ、唯人間にあらず、正しく涅は下野国那須野ノ原の狐にて候、今日君の御猶豫を晴し申すべしとて、太山府君星供(たいざんぷくんしやうじやう)を行い、彼の玉藻ノ御方に天神地祇の幣帛を持たせけるに、忽ち狐と成って飛び去り、御悩軈て平復す。此時三浦介、上總介に勅を下され、那須野ノ原の狐を狩り給う。其儀式弓馬の秘術を盡したれば、是を以て犬追物の式法決定御座します」
とあるが、勿論かかる牽強付会の説をすぐさま信じてしまう譯には行かない。近衛天皇に先立つ事約三十年、第七十三代堀河天皇の御代、後三條天皇の御寵を蒙って大蔵卿の職にあった大江匡房の手記に「堀河院御時、犬狩被閉諸陣、而先例当御物忌。犬狩尤有便(略)」と堂々と記されているし、また、第八十四代の順徳天皇が御筆になった『禁秘御抄』にも「蔵人承仰下知、所衆瀧口帯弓箭、儲所衆衆入縁下狩出、而此後甚見苦、仍好遅参、定蒙召籠、仍衛士幵取、夫人入縁下」と見えている。
要するにこの犬追物は寛正六年以前から既に存在していたものであって、それが鎌倉時代になって武技尊重の表れとして本格的のものに改められたというに過ぎない。その最初の記録は作者・年代ともに不詳だが第八十一代の安徳天皇から第九十代の亀山天皇の御代に亘って記述された『吾妻鏡』の貞應元年(第八十六代後堀河天皇―一八八二)二月六日の條に、幕府の南庭に於て射手四人、犬二十疋で行われたと録されてあり、亦筆者・年代共不詳の『北条九代記』六にも「世の中已に靜謐に属し、新帝(第八十六代後堀河天皇)御位に皍かせ給い、物騒しき年も暮れて、春立つ今日というよりして、京都鎌倉同じく賑い、草木の色も新に見え、鳥の聲まで嬉しげなり。正月七日若君御弓始あり。同二月六日には南庭に於て犬追物有りて、若君殊に御入輿まします。同四月十三日、承久四年を改めて貞觀元年とぞ號しける。」と同様の事が記されてある。続いて同天皇の寛喜二年(一八九〇)正月二十三日にも由比ノ浦で行われた事が同書に載せられているが、北條時代も末期になるにつれて、常に小糶合が絶えなかった結果か、この遊事記録も次第に影を薄め、僅かに第百二代後花園天皇の御代に、伊勢太廟の祠人の女、荒木田麗女がものした『池の藻屑』に第九十八代長慶天皇の永和四年(二〇三八)に行われたことが次のように書かれているのをみるだけである「永和四年と申しき、三月武家には犬追物という事なむ催し侍る。是は往昔鎌倉なる頼朝の大将など、あまたたびさせつる事にて、武士の翫なる事なれど、ちかき世には絶えはてたりしを、こたび興しけるとなむいみじうけうある事とぞと人申し侍る。」これによっても長年月の間中絶していた事がはっきりと立証されている。越えて寛正六年の興行になるのだが、これとても相当の隔りがあるし、次に記録されている第百六代正親町天皇永禄三年(二二二〇)の催しも九十五年の間が置かれてある。前掲の『後太平記』の同じ條に  

Posted by keel at 00:30Comments(0)日本の遊戯

2017年12月04日

いてふうち(銀杏打ち)

互いに同じ数の銀杏を出し合って地上に撒き、それをいろいろの型にならべる。そしてアレ、コレと指示しながら、自分の持っている銀杏を打ちつける。巧く打ち当ればそれを自分の所得とする。さもない時は番を次の者に譲る、という子供達の遊戯で、古くから行われていた形跡がある。

※いたちごっこ(鼬事)は省略  

Posted by keel at 22:55Comments(0)日本の遊戯

2017年12月04日

ここ数日の話

・札幌いってきた
・忖度弁当買った
・ロッテ選手名使った漫画買い始めた
・八海山のあまざけ使って料理してみた
・まるごとにっぽんの話各種
・大森で飯食った
・職場の近くのこと
・大尉5から一回4に落ちた  続きを読む

Posted by keel at 01:21Comments(0)雑記雑記/イベント

2017年12月03日

いたおとし(板落し)

デングリカエリの事を地方によって板落しといっているが、厳格な意味でいえば宙返りの方が当っている。第百二十代仁孝天皇の文化十三年(二四九〇)刊行の喜多村信節の『嬉遊笑覧』は曰ふ。「「東京夢華録駕登實棲諸軍呈百伎條に両々出陣格闘、作奮刀撃刺之態、百端訖一人棄刀在、就地擲身皆着有聲謂之板落云々」。この板落といえるは宙返りなり、筋斗は勢すくなく板落はいたく勢あるさまにや、さてこの戦闘の学び今歌舞伎のタテというものに似たり」とある。「でんぐりかえり」の項を見よ。  

Posted by keel at 23:22Comments(0)日本の遊戯

2017年12月02日

いしひろい(石拾い)

小石の多い道路や河原などで「イシメツカリコ」といいながら、自分の好きな石を拾って、その数の多いのと、形の優れたもの、光沢のあるものなどを拾い集めて優劣を競う遊び。平安朝時代大宮人の間に行われた貝合せという遊びに由来するものではないだろうか。「かいあわせ」  

Posted by keel at 23:59Comments(0)日本の遊戯

2017年12月01日

いしはじき(石彈)

小石を彈いて遊ぶ俗にいう「オハジキ」であって、その昔は小石のみで遊んだものだったが、近世になってキサゴ(細螺)―訛ってキシヤゴといっている―を用いて遊ぶようになった。現在ではオハジキといえばキサゴハジキをすぐ思わせる。平安朝時代には彈碁(ダンキ)といって中高になった特別の碁盤の上で、碁石を彈き合う遊びがあったが、これは上流社會の人々にのみ限られていた。第六十一台朱雀天皇の承平年中に著わされた源順の『和名類聚抄』に「世説云彈碁始自魏宮文帝於此技且好矣。」とあり、第百十四代中御門天皇の正徳二年(二三七二)に寺島良安が著した『和漢三才圖會』には「今云彈碁乃擲石之類而有少異。兒女常弄之。用碁子十有餘、撒之要不攅重、而以手指彈合、取撃当者、復次如之無遺爲勝。如誤撃隣石者爲負。」とある。これから見ても、この時代には彈碁というものがすでに廃れてしまって、極めて一般的に、しかも簡易化されてきたことを物語っている。また第六十三代冷泉天皇の安和年間から第六十六代一條天皇の長保年間までに書かれたという『宇都保物語』の祭の使の條に「中のおとどに庚申し給いて、男女、方わきて石はじきし給う」という一節がある。この例は彈碁のようでもあるが、男女に組を分けて行ったという點から考えて、普通の石彈きであったように想像される。
第九十一条後宇多天皇の御代、御寵を一身にあつめた卜部兼好、後の兼好法師の著『徒然草』に「碁盤のすみに石をたててはじくに、むかひなる石を守りて、彈はあたらず、我手もとをよく見て、ここなるひしりめをすぐにはじけば、たてる石かならずあたる。萬のこと外にむきて求むべからず」とあるが、第百十二代靈元天皇の貞享元年(二三四四)に井原西鶴が著した『二代男』には「藻屑の下のさされ貝の浦めづらかに、手づから玉拾う業して、ままことのむかしを居間にはじきというなどして遊びぬ」とあるから、この時代にはすでに、貝を用いていたことが立証される。『長崎歳時記』に「猫貝を小兒弄ぶことを云て、其法のせはじきと云は貝を握り、手の甲にうけ又手心にうけ、握り取、疊の上にちりたる餘り貝は一々はじき取て勝負を決す。十五握と云は各々貝十二十を出し合せ順々目を塞ぎ面をそむけて、数十五をつかみ取るを勝とす。とんのみと云は各自目印ある貝一つずつ出し合せそれを掌にてふり出し、餘り貝は附せ、一貝仰ぐものを勝とす。」また、『怡顏齋介品』という書物には「きさご肥前にて猫貝と云」と猫貝の、のせはじきがキサゴ遊びである事を示している。
第百二十代仁孝天皇の文政十三年(二四九〇)に喜多村信節の記した『嬉遊笑覧』に「きさごはじきにツマと云はツマヅクの略、ヤツというはやつあたりなり。きさごをかぞふるに、ちうしちうじたこのくはへが十てうと云う。ちうじは重ニなり。それを重ぬれば八ツとなる。章魚の足の数なり、是に又ニツて十になるをいう」とあるが、子供達はそれを訛ってか「ちうちうたこかいな」と数えている。現在行われている「オハジキ」は一握り或は一定数のキサゴを出し合って、これを撒き、重なり合った分はオネボといってそれだけを撒きなおす。こうして拇指と食指とで彈いて当ったものを自分の所得とする。もし当らないか、一彈きに二箇以上に当った場合には次の者に番を譲る。全部支障なく当った時にはオトメといって、何囘でも続ける事ができる。「だんき」  

Posted by keel at 23:53Comments(0)日本の遊戯

2017年11月30日

いしなご(石投子)

平安朝以前から女兒の間に行われていたもので、石投、石子、石擲石、石投子取、石投取とも書く。現在行われているお手玉の全身であって、その古は小石を以て遊んだのでこの名を得た。やり方はお手玉遊びとほとんど変わらないからここにはその説明を省くが、相当広い範囲に行われていたものとみえて、地方地方によっていろいろの呼び名がある。江戸地方では「オテダマ」、東國地方では「イシナンゴ」、「ナツコ」、信州地方の一部では「ハンネイハナ」、出羽地方では「ダマ」、越前地方では「ナナツゴ」、伊勢地方では「ヲノセ」、中國、薩摩の一部では「イシナゴ」等など。第六十一代朱雀天皇の承平年間にものされた源順の『和名類聚抄』によると「梁武帝千字文注云、宣遼者楚人也、能弄丸八在空中一在中、今人之弄鈴也」とある、丸を空に投げ上げることは漢土から渡来したものかも知れないが、石をもって行うことはわが國によって創始されたものでもあろう。第六十八代後一條天皇の長元七年頃(一六九四頃)その上巻が著された作者不詳の『榮華物語』、月宴の巻に「今の上(第六十二代村上天皇天慶九年―一六一五)御心ばへ、あらまほしく、有るべき限りおはしましけり。醍醐の聖帝、世にめでたくおはしましけるに、またこの御門、堯の子の堯ならむやうに、大かた御心ばへ雄々しう、気高く賢うおはすものから、御才も限りなし、和歌のかたにもいみじうしませ給へり。萬に情あり、物のはえおはします事限りなし。(中略)御子うまれ給へるは、さる方に重々しくもてなさせ給ひ、さらぬは、さべう御物忌などにて、つれづれに思さるる日などは、おまへに召し出でて、ご、すごろくうたせ、へんをつかせ、石などりをさせて、ごらんじなどまでぞおはしましければ、皆かたみに、なさけをかはし、をかしうなんおはしあひける」とあり、また同時代の撰に成る『拾遺集』十八賀に、「春宮の石などりの石めしければ、三十一をつつみて一ツに一ともじを書てまいらせける(読人不知)―苔むさばひろひもそへんさざれ石の数をみなとるよはひ幾よぞ」。同じ時代の女流歌人赤染衛門の歌にも「女院の姫きみときこえさせし頃いしなとりの石をめすを参らすとて―すべらぎのしりへの庭のいしそこはひろふこころありあゆかせてとれ。」というのがある。
第七十六代後白河天皇が保元三年(一八一八)に御譲位あらせられたあと、お撰びになったと傅へられる『梁塵秘抄』には、「羽なき鳥の様かるは、炭取、揖取、掻縺(カヒモドリ)、石取り、虎杖、垣生に生うてふ菝葜(サルトリ)や、弓取、筆取、小弓の矢取とか」、と記されている、どういう意味か解しかねるが当時の今様風のものではないかと考えられる。現在行われているこの遊びにはお手玉をとりながら必ず「一、二、三、四」などなど数を読むのが普通となっているが、その昔はされおき、源平時代にはすでにその数が読まれていたことが『源平盛衰記』巻三十四、知康藝能の條に書かれてある。『源平盛衰記』は著者・年代とも明瞭でないが、第八十六代後堀河天皇の嘉禄二年(一八八六)から、第百七代後陽成天皇の慶長四年(二二五九)までに記述されたものといわれる。
「子息左衛門督賴家の、未だ少くて十萬殿と申しける時、招き寄せ給ひて、あの知康は九重第一の手皷と一二との上手ときく、是にて皷と一二と有るべしといへとて、手皷に砂金十二両取添えて奉り給ひたれば、十萬殿是を持ちて簾中より出でゝ知康にたびて、一二と皷と有るべしと、勤め給ひければ、知康畏って賜って、先づ皷を取って、初めには居ながら打ちけるが、後には跪き、直垂を肩脱ぎて様々打って、結句は座を起つて、十六間の侍を打廻って柱の本ごとに無盡の手を躍らしたり、宛轉たり、腰を廻し肩を廻して打ちたりければ、女房男房心を澄し、落涙する者多かりけり。其後十二両の金を取りて云く、砂金は我朝の重賓なり、輙く争か玉に取るべきと申して、懐中する儘に庭上に走り下りて、同じ程なる石を四とり持ちて、目より下にて、片手を以て数百千の一二を突き、左右の手にて数百萬をつき、様々乱舞して、をうゝ音(こゑ)を擧げて、よく一時突きたりければ、其座に有りける大名小名、興に入りてゑつぼの會なりけり。兵衛佐も見給ひて、誠皷というとは名を得たるものと云うに合いて、其験ありけりとて感じ入り給へり。」
降つて第七十四代鳥羽天皇が保安四年(一七八三)に御譲位あらせられてから北面武士として親寵を蒙った佐藤義清、西行法師がものした『山家集』にも「石なごの玉のおちくるほどなきに過ぐる月日は変わりやはする」という一首が残されている。徳川の末期第百十九代光格天皇の文化十一年(二四七四)村田春海の著、『笠志船物語』に「いかなる名ぞとの給へば、守千引とよべば、かしこまりておまへにいで、丈立ち高く、太かに肥たり、君は雄々しのさまよと見給う。これなん力ある事人にすぐれ侍る。千人引之岩をも石投取の石とる計りにとりなし侍れば、然なん人のよび侍る」とある。第百十八代後桃園天皇の安永年間にものされた谷川士清の『和訓栞』に「法隆寺の賓物にいしなどりの玉あり、小兒の語に小石をいしなという、伊勢に石名原あり奥州に石名坂あり云々。」第百二十一代孝明天皇の嘉永六年(二五一三)に刊行された喜多川守貞の『漫稿』には「いしなごと云、今京阪地方にてはいしなごとりと云、女童集り各々小石或ニ、或三つを集め一童持之席上に抛蒔き其数石の内一石を取り、是を尺ばかり或は二尺三尺上になげ上げ、落来る間に二石をとりて後、落る石を受け席上の石とり盡せば再蒔散之、今度は三石ずつを取て落る石を受、三四囘に至り畢とす。半に受過る時は次の童に譲る云々」と書かれている。文献に示されてから九百餘年、殆ど千年近くの間多少の変化があったにしろ、そのままに傅へられてきた遊びはまづ珍とするに足りよう。  

Posted by keel at 23:22Comments(0)日本の遊戯