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2017年11月25日

いくさあそび(軍遊び)

この遊びは、ここに説明するまでもなく、吾々人間が地上に生まれ出てから、種々の変化はあっても、何れの國、何れの時代を問わず、子供達の間に行われて来たものである。第七十七代後白河天皇が保元三年(一八一八)に御譲位遊ばされてから御撰びになったという『梁塵秘抄』、雜八十六首の中に、「武者を好まば小屋並び、狩を好まば綾藺笠、捲り上げて、梓の眞弓を肩にかけ、軍遊びよ軍神。」という歌さえある。ましてわが國では源平時代以後戦乱の巷に育まれた子供達は、武家・町家の差別なく、一層さかんに遊ばれた。年代・著者共に不詳であるが、花園天皇から後村上天皇に至る四十五年間の史實をものした『太平記』十六、第九十六代後醍醐天皇の延元元年(一九九六)正成首送故郷の條に、「正行、父の遺言、母の教訓、心に染み、肝に銘じつつ、或時は童部共を打倒し、首を取る真似をして、是は朝敵の首を取る也と云い、或時は竹馬に鞭を当てて、是は将軍を追懸け奉るなんど云いて、はかなき手ずさみに至るまでも、唯此事をのみ業とせる、心の中こそ恐ろしけれ。」とある。子供心にも朝敵を討つという念願からではあったろうが、所謂軍遊びを常にやっていたことがうなずかれる。その後豊臣時代に入ってから天正十六年、武家に非らざるものの帯刀を悉く沒収し、また、徳川時代になってからは町人の武事を一切禁止したので、この遊びも一時は武家の子弟のみの獨占となっていたと傅へられる。最近では映晝を受けて、到る處にチャンバラという姿でもって行われていたけれども、再び新式の軍遊びが有勢になってきた。

※いかご(烏賊子)いかのぼり(烏賊幟)は省略

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