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2017年11月05日

古本まつり行ってきた

本との出会いなんてそうそうあるわけねーだろ…
とか思いながら九段下でバス降りて歩いて神保町へ向かいましたが…
まさかあるとは思いませんでした。
ほぼ即買いしたのは日本の遊戯とかいう本で、昭和18年に初版が出版され、昭和51年に復刻版が出版されたという、俺と同じ年齢の本だった。こんなん浪漫でしかない。
定価がクッソ高い(ミニスーファミより高い)が、古本なのでリーズナブルなお値段(どこぞの通販価格よりは安い)で入手できるようだったので中身確認はそこそこに即買うことに。
多分ある程度はすでに知っている遊戯なんだろうけど、もし知らん遊びがあるとしたらやっぱり気になる。

ついでに、漢書後漢書三国志選訳も、漢書後漢書のほうを目当てに買っておいた。
いやまあ、三国志は見れるしな。というかなんで少ない中で簡雍伝なんて入ってんの?

とりあえず、読むで~ってことで序文を現代文調に書いてみた(一部おかしい所あると思うがとりあえず気にしない)。


序に代えて

自分が日本遊戯の研究を思い立ったのは、昭和4年の夏からだった。
それは朝日講座に、スポーツの話というのを書くことになった結果、我が国にはそういう方面の研究と言うか、調べというか、そういう書物が皆無だったのに始まっている。

最初は別段、一冊の本に使用などという考えもなく、ただ興味に引きずられるまま、あの本、この本と、乱読していたのに過ぎなかったが、それが段々に嵩じてきて、一々その文章を書き留めておくようになり、しまいには作品までこさえるような大騒ぎとなって、ノート数十冊の多きに上るようになった。
けれどもただそれを楽しみにしていただけであって、本にしようなどという考えは毛頭持っていなかった。

ところが、昭和15年の春、朝日新聞の運動欄に「昔の大衆教育を語る」という題で、8回ほどのものを載せて貰って、その反響の意外に大きいのにまず驚かされた。
新聞社あてに投書をくれるもの、わざわざ自宅宛に手紙をよこしてくれるもの、しかもそのいずれもが、研究資料になるような親切な助言ばかりで、今まで自分が興味本位、いわば道楽仕事にやっていたのが、何だか気恥ずかしいような気さえした。それでもまだ本にしようなどとは夢にも考えていなかった。
その年の7月になって、朝日新聞社は、2600年記念として、橿原神宮外苑に奉納馬術大会を挙行した。その時、思いもかけない古代の遊戯、打毬が組み入れられて、幾万の慣習に大きな衝撃と感動とを与えたと後になって聞かされた。つづいてまた10月の祝典の時、京都の蹴鞠保存会というのが主催となって、明治神宮の内苑で、古代そのままの蹴鞠の遊戯が行われた。本にしてみたいという考えが動き出したのは、この時分からの事だった。
それは由緒の深い打鞠や蹴鞠が、折角行われても、その長い歴史やその遊事方法などが、全然知られていないために、ただ感嘆詞だけの連発であって、有意義であるべきこの古代の遊戯が、全く無意義に終わってしまったらしいと、友人からきかされたからだった。
いやそればかりではない、最近ラジオで放送される童謡や組曲などの中にも、昔流行した遊戯の歌詞が、よく盛り込まれているのを耳にする。
かごめかごめ籠の中の鳥はいついつ出やる
ここはどこの細道ぢゃ天神様の細道ぢゃ
などといかにも情趣に富んだその調子が、なんとはなしに胸を打つ。徳川時代になって関所の精度が儲けられてから、関の内外に出入りする厳格な取り調べが、こんな歌を産み出したのかと思うと、一層にその感慨が深くなる。
現在でもそれ等の遊戯や歌は、多くの子ども達によって遊事され、口ずさまれてはいるが、無心の子ども達は兎に角として、その親や指導者達が、その由って来るところの因縁を、知っているものが、果たして幾人あるだろうか。勿論それは一般人士にとっては、余計な詮索であるかもしれない。けれども識者達が、実演に、或いはラジオに、古い遊戯を特に選びだした所以のものは、そこに何らかの理由が存在していなければならない。
孔子は「古きを訪ねて新しきを知れば、以って師と為るべし」といっている。われわれは世界に矜るべき国土の一赤子として生まれながら、余りに我が古い歴史を無視しすぎてはいなかったろうか、いや祖先が孜々営々として、今日の礎を築き上げたその業績を、なぜ顧みようとはしなかったのだろうか。
今われわれは、嘗て祖先が理想としていたところの、新東亜建設の遺業に向かって、その歩を進めつつあるではないか、たとえそれが古聖賢の言でなくっても、温故知新の一句は、まさに金言であることを痛感する。2600余年の長い間、専心開拓の任に当たった我が祖先の大偉業を、この時、この際、静かに辿ってみる必要はないだろうか、各々が夫々、志すその道に従って……。
自分はさまざまな事を目にし、耳にして、始めて今までの仕事が、決して徒労でなかったことを、しみじみと感じさせられた。同時に一刻も早く一冊の本として、心ある人々の膝下に送りたいという想いが、にわかに募り出した。今まで漫然と読みもし、書きもしていたことが、寧ろ不思議でならなくなった。
そして遊戯が、われわれの祖先が、この世に生まれ出ると等しく、或る時は生活の全部として、或る時は又その一部として、影の形に添うごとく、終始歩調を一つにして進んで来た、その一事は、よそ事として看過してしまうわけにはどうしていかない。われわれ祖先の生活に変動が起こると同時に、遊戯の形もまた自ら変わってきていたのだった。遊戯ぐらい率直であり、そして虚偽虚飾のないものは、恐らくこの世に2つとはあるまい。もしその形式や方法に変化があったとすれば、それは直ちに、その時代の変化を物語っているものであって、遊戯はその時代相の反映乃至は表現として、立派にこれを見ることが出来る。
この意味からも一層その完成に鞭打たれて来たのだった。
昭和18年の春 小髙吉三郎

他も書いちゃうかどうかは未定。
まあ全文書くことはない…というかこんな量書けるかっていうレベルじゃねーぞ的な。


古本まつりはこれで終わり。

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